124件〜126件 (全 735件)
<前の3件
・・・
38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 ・・・
>次の3件
先週球磨川の氾濫からの復興を図りつつある人吉を訪ねた。氾濫直後の惨状は目にしていたが、その後2年が経ち、馴染みの旅館や店が再建されたと聞いたので自分の目で確かめに行ったのである。人吉へは九州自動車道を通り約1時間半。あいにくの梅雨入りで球磨川の増水を気にしながらも人吉には昼過ぎに到着。さっそく腹ごしらえのために有名なうなぎ屋に直行したが、「上村うなぎ」は休日、隣にある「しらいし」に行ったが店の外には既に10人ほどの客が待っていたのには驚いた。 さて気になっていたのは、国登録有形文化財の宿「人吉旅館」と民藝品の店「魚座」である。 前者は洪水により甚大な被害を受けたものの、建築の専門家である私の同級生が旅館の女将さんを励ましながら再開にこじつけた旅館。後者は国内外の素敵な民芸品を数多く品揃えした店で、これまた洪水で店舗が2階まで浸水したという。 今回宿泊した「人吉旅館」では、氾濫した水が2階への階段の上段まで押し寄せて来たと教えてもらった。旅館の前にある国宝の「青井阿蘇神社」の被害も大きかったが、それは神社前にある電信柱の浸水標識が3.9mとあることで理解できた。大人の背の2人分の高さまで水が来たのである。また「魚座」は未だ仮営業の態で、奥の被害跡を見せてもらったがその惨状に驚きかつ心が傷んだ。店の周りは再度の洪水を虞れて空き地だらけ。人吉の中心繁華街がこの有様ならば、仮に肥薩線の復旧や川辺川に流水型ダムが新設されたとしても、九州の小京都と称された元の観光地に戻れるか、現地の人の心配が肌に突き刺さるような一日だった。
|
以下は女性には理解できない年齢に関する話かも知れない。
ある日のこと、隣のテニスコートでの会話が耳に入ってきた。
女性 「足がよく動きますね。お若いですね。」
男性 「いくつに見えますか?」
女性 「・・・ 67歳ぐらいですか?」
男性 「・・・ 70歳です。」
女性が何気なく褒めたら、男性が年齢を当てるように聞いてきてちょっと困った。多めに言ったら傷つけるし、かと言って思い切り若く言えばわざとらしい。そこで頭をひねって答えたのであろう。 私にも経験があるからこの状況がよく分かる。男性は実年齢よりずっと若く言ってほしいのである。期待に胸をときめかせ落胆して自分の年齢を伝えたのであろう。ゴルフのプレイ中に、キャディーさんにいくつに見えるかと尋ねることがある。もちろん、若く言ってほしいという下心があってのことだが、大抵はぴったり当てられて聞かなきゃ良かったと悔やむことが多い。自分の顔は自分では決して見ることができないというが、自信過剰だけは止めにした方が無難だ。 秦の始皇帝が天下統一を果たした後望んだことは不老長寿の秘薬を手に入れることである。徐福という人物に大金を与え秘薬を探しに行かせたが所詮は無理な話だった。かかるように古今東西、若くありたい、若く見られたいというのは人間の永遠のテーマである。しかし自ずと限界がある話だから、ここは諦念して歳相応に精神の大人化をめざした方が良さそうである。
|
2022年06月02日 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
このかわいらしい俳句を作ったのは池田澄子という俳人。口語で型破りだが記憶に残る一句である。この句を思い出したのはいよいよ蛍の季節を迎え、地元紙を幻想的な蛍の写真が飾ったからである。私自身子供が小さい頃は体力があり、教育的観点から遠くまで蛍狩りによく行った。そして時が過ぎるといつしか蛍狩りの場所は徐々に近場に移って来、近年では蛍狩り自体面倒と思うようになった。 そんな時に朗報が飛び込んできた。自宅近くの歴史的な屋敷の庭に蛍が出ると教えてもらったのである。過去に遠くまで蛍狩りをしたのがばかばかしくなるほどのご近所なのである。半信半疑でいたところ、地元紙にその庭の蛍の写真が掲載されたので疑問は確信に変わった。そこで日曜日の夕、暗くなる直前に駆け付けると、いたいた、人間が。 いつもは昼間でも他人を見ない庭に10数人の人影。三脚を立てて蛍の撮影に臨んでいる女性に話しかけると、明るい内から庭を撮影しあとで蛍の写真と合成すると言う。こうしたことがあるからやっぱりコロナ下でも他人には会わなければならない。かくして待望の蛍が出現し夢中でシャッターを切った。が所詮高度なテクニックなしの写真、まずは蛍が撮れただけでも良かったと低レベルの満足度に浸ったのである。
|
124件〜126件 (全 735件)
<前の3件
・・・
38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 ・・・
>次の3件