芭蕉林通信(ブログ)

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2022年05月24日 イエナカキャンプ

 お笑い芸人ヒロシが始めたソロキャンプが、コロナ禍の巣ごもり時代にあってSNS上であっという間に人気になった。人気が落ちテレビに出なくなったと思っていたら、見事復活を遂げたのはあっぱれと言うしかない。私にとっても少年時代ボーイスカウト活動をしていた頃はキャンプは身近なものであったが、最近はテントは家にあるものの使う機会は全くなかった。

 そんな時にもアウトドア関連の店は続々とでき、一種のアウトドアブームが続いている。地元のショッピングモールの屋上で期間限定のグランピングが開催されたり、白川の河川敷でマチナカキャンプの催しがあったりしている。そこで私も一念発起し、狭い庭でイエナカキャンプを挙行した。

 屋外調理用のキットだけは購入したが、その他は家にあるものでにわかキャンプ場を作った。テントを張りランプを吊るす。野外用のテーブルとイスを置き、寝椅子とディレクター・チェア、ハンモックを配置。叢にはやぶ蚊用の殺虫剤を撒いた。その後お湯を沸かし、焼き鳥ラーメンを5人分完成させた。そして、喜ぶ孫にラーメンを食べさせようとした途端、不安定な子供用の机からラーメンがどんぶりごとにひっくり返り、孫は大泣き。かくしてイエナカキャンプは無事終了した。

2022年05月17日 放棄された山荘

 父の遺産として引き継いだものに阿蘇の山荘がある。湯之谷という地名が表している通り、温泉が出るという地域に数十件の別荘が建てられた。生前ゴルフ大好きな父が、ゴルフ場が近くで便利とばかりに土地を購入し別荘を建てた。私が大学生の頃、帰省した際にはまだ原野である敷地にテントを張りキャンプした。できたばかりの別荘に泊まると、電気が通じていないことを初めて知るということもあった。

 そこで見合いをし子育てしたのだから、我が家にとっては思い出深い山荘であることには違いない。しかし、山の家というのは住んで初めて分かることが多い。とにかく家の管理が大変だった。行けば温泉が出ない、水がでない、ネズミが悪さする、山火事に遭遇するなど想定外のことが次々に起こった。その都度対応を迫られるのだが、大抵は問題解決せずに我慢を強いられた。そしてある時、1年ぶりに別荘に行きドアを開けると、中は湿気でぼろぼろになっていた。

 それから別荘を放棄したまま約10年が経とうとしている。しかし持て余し気味の別荘の固定資産税はちゃんと払わされている。村は不良資産を引き取るよりも固定資産税を聴取した方が得なのである。しかし、思い出の詰まった場所であることは間違いないので、5月の連休中には孫を連れて別荘近くの原野を散策した。放牧中の赤牛に気を付けながら、誰も来ない原野の水たまりで魚釣りしたのは小さな子供たちにとっては良い思い出になったはずである。

2022年05月02日 ロシア三つの接点

 私の生涯においてロシアとの接点はわずか3点。ロシア旅行の機会が潰えた今、幸か不幸かこの3点を振り返ってみたい。その一は大学で第二外国語にロシア語を選んだこと。これから日ロ貿易が盛んになるはずだと父が勧めてくれたことによる。ただ大学紛争により授業が少く且つ日ロ平和条約の締結もされない現状では、わずか数語覚えているのみ。こんにちは、さようなら、ありがとう、愛してる、と散々である。ただ、学生時代はロシア文学には傾倒した記憶がある。

 その二は両親のロシア旅行の土産話だ。ソ連時代にモスクワやレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に行ったものと思う。女性の通訳がまるでKGBのスパイのようで、旅行中監視され使用中の手帳は中身までチェックされたとか。飛行機のロシア人乗客が土産物のトマトを大切にしており、ソ連の食料不足を痛感させられたとも話していた。

 その三はアメリカ視察旅行中にニューヨークに立ち寄った時のこと。ロックフェラーセンター近くにロシアの土産品店があり、そこで一点ものの彩色された母娘の人形を買った。入れ子になっているマトリョーシカとは違い、アーティストによる芸術作品であり今でも大切にしている。歴史上偉大な作曲家や作家を生み出してきたロシア、早く正気を取り戻してほしいと願っている。

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