芭蕉林通信(ブログ)

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2021年06月08日 庭のゴルフ練習場

 戦後の日本において、驚天動地の事件により膨大な社会的コストを強いられたのは、オイルショック、バブルの崩壊、東日本大震災とそれに伴う原発事故、そして今回の新型コロナウィルスのパンデミックではないかと思う。それぞれの出来事が社会・経済構造を劇的に変え、個人の生活や価値観に今なお多大な影響を与え続けている。しかしそれでも、国民一人一人の生活は淀むことなく続いていくのだ。

 一人の国民としてできることが限られる中で、せめて世間にご迷惑をかけたくないと願ってすることは、新型コロナに感染しない、他人に感染させないと自粛するぐらいしかない。否応なく外出を自粛するその先は、畢竟自宅での待機になるのはやむを得ない。人間困った時には工夫が生まれる。私の場合は、家周りの修理や整備に時間を費やすこととなった。

 近時の収穫は二つ、一つは雨漏りする天窓を屋上に上がりビニールテープで修理したこと。専門業者に頼まずに素人工事でしえた事は自分なりに自信になった。もう一つは長年放置していた庭の一隅にゴルフ練習場を整備したことである。下草を苅り、猫の侵入防止用の網ネットをつなぎ合わせて、手作り感満載の練習場ができた。後は直射日光を遮るテントを張り、しばし憩えるための野外椅子を置けば完成である。もっとも厳しい作業に疲れて、肝心のゴルフ練習はする気を今はなくしている。

2021年06月02日 六中観(りくちゅうかん)について

 30歳から40歳ごろにかけて読書を通じて影響を受けたのは陽明学者の安岡正篤である。ウィキペディアでは安岡正篤は昭和史の黒幕と紹介されているが、私には博覧強記の大学者としてのイメージがある。「現代の帝王学」を著した伊藤肇を筆頭に、政財界のトップに信奉者が大勢いたことがその存在の確かさを示している。同氏が座右の銘としたのが「六中観」であり、自分なりにどう解釈するか考えてみた。

一、忙中閑あり
ある人から忙しいとは心を亡すと書くよと教えられ、以来忙しいとは言わぬように気をつけている。するべき事がたくさんあるからこそしばしの自由時間が貴重だと思う。よく働き、よく遊べが変わらぬモットーである。

二、苦中楽あり
39歳の時に会社の大黒柱であった父を失った時が人生最大の危機であった。その修羅場の最中にあって声をかけ励ましてくれた人があり心の中で涙した。おかげで難関を楽しく乗り切ろうと気持ちを切り替えることができた。その後に得たものは一種の自信と開放感である。

三、死中活あり
窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)の喩えがある通り、絶体絶命と思われた瞬間にこそ活路が見出される。平和ボケしていたのでは、企業も国家も危機対応できないのは周知の通りである。振り返れば、会社業績が悪くなった翌年は経営改善を真剣に進め業績が好転したことが多かった。鬼滅の刃で言うように、「全集中」こそが活路を開く。

四、壺中天あり
古代中国の逸話から取った言葉であるが、NHK番組の「美の壺」もこれに由来する。世俗の世界から離れて独りの時間を持てという意味だが、組織に属していると独りになる時間が欲しくなる。私はこれを趣味に遊ぶと解釈して、毎日自分だけの時間を楽しんでいる。

五、意中人あり
尊敬する人や憧れの人がいるのは幸せなことだ。人生の目標になり、かつ自分自身を反省する機会を与えてくれる。かつては織田信長に憧れた時もあるが、幼児的残虐性を持った恐ろしい人だと思うようになった。遠くから眺める方が良い人もある。

六、腹中書あり
しばしばトップリーダーは新聞や雑誌で推薦図書を披露する。どのような本を推薦するかでその人物像が見えてくる。私も推薦するとすればどの本が良いかと考えることがあるが、未だ絞り込むことができていない。今年になって社内読書会で選択した本は、「思考の整理学」「大河の一滴」「超入門 失敗の本質」「仕事と心の流儀」「現代帝王学入門」だが、ここですでに私の人物像が出ているとすれば少し緊張する。

2021年05月27日 見番(けんばん)があった頃の話

 山本健吉著「俳句鑑賞歳時記」の夏・時候欄を読み始めてすぐに、「初夏(はつなつ)の乳房の筋の青さかな」という句が目に飛び込んできた。と同時に、約30年前熊本にまだ7〜8人の芸者さんが残っており、いくつかの歴史ある料亭が社交場であった時の思い出が俄然蘇って来た。もっとも芸者さんとはいっても、最高齢は80歳以上、若手でも60歳近くではあったから大先輩の方々ではあったが。

 そうした芸者さんの中では若い方の一人、Yさんははきはきした元気の良い女性だった。そのYさんの思い出である。Yさんは芸者仕事だけではなく、夜はスナック経営をしており、ある時そこに仲間数人で遊びに行ったことがある。Yさんは一回り以上も若い我々に警戒感をなくしたのか、あるいはサービス精神を発揮したのか、突然に自分の乳房は歳の割には白く奇麗で青筋まで見える、見たいならば見せてやっても良いと宣(のたまわ)ったのである。

 我々は酒の勢いもあり、一斉に見ると叫んだのだった。果たして、Yさんが着物からむき出しにして見せてくれた乳房は、大理石の如く白く血管が青い筋となって見えたのである。この話はもはや時効だと思いつつこうしてつぶやいているのだが、初夏(はつなつ)の乳房が名句になると言うのは、こうした体験はわれわれだけのものではなかったと思わせてくれるのに十分なのである。

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