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余震に怯えながらも1日が過ぎ、早く寝ようと11時過ぎにはベッドに入った。いつしか眠りについた4月16日、日付けの変わった深夜1時25分、突然の強い揺れが地面から突き上げるように起こり愕然とし一瞬で恐怖に陥った。極めて強い揺れは僅か15秒ぐらいだったか。停電のため、暗闇の中で何が起こったか分からない。必死で懐中電灯を探すが見つからない。やっと探した懐中電灯の光で周りを調べたら、聖徳太子の木像始めベッドサイドの置物は全て落下。よく落下物が頭に当たらなかったものだとほっとする。 書斎に行くと、再度の激震で目も当てられない惨状。前日に割れそうな物は棚から下ろしていたものの予想に反して今度は本類が大量に落下している。大事にしていた陶製のキューピーは無惨にも破壊され、愛用の硯にはキズがつくなど被害は一挙に拡大した。晩酌の友である盃や徳利は無事でほっとしたが、玄関に置いていた星野焼の壺は残念ながら割れていた。 家を出ると、深夜2時近くにもかかわらず道路に近所の人たちが不安げに集まっている。余震がおさまりつつあると思っていただけに、桁外れの本震に皆のショックは隠せない。車で避難するという人がいたので、我が家も万が一に備えて駐車場のシャッターを開けようとするが、電動式のために停電で開かない。手動で開けようと懐中電灯の光で必死に操作するがどうしても開けられない。諦めかけた時に通電。急ぎシャッターを開けた。深夜テレビは一斉に大地震の発生を報道。後で分かったが、今回の地震はマグニチュード7.3 震度7でこれが本震という。 被害の全容は朝になってから徐々に明らかになったが、被害の甚大さに改めて衝撃を受ける。活断層が通っている益城町や南阿蘇村に被害が集中している。ショックだったのは、前震で痛んでいた熊本城の天守閣の瓦がすっかり剝落したばかりでなく、長塀は倒壊、重要文化財の宇土櫓の続き櫓や他の多くの櫓も崩壊。ジェーンズ邸も完全に崩壊した。阿蘇では土砂崩落で阿蘇大橋がなくなり、57号線は寸断した。阿蘇神社の楼門、拝殿も倒壊。死者は41人を超え、余震回数は400回を越えた。被害はどこまで、いつまで続くのか不安がつのる。 報道が伝えるには前震が日奈久断層だったのに対し、本震は布田川断層であること、そしてその延長線上に南阿蘇、大分があることなどである。この本震は前震の16倍のエネルギーがあるというから恐ろしい。 南阿蘇では、地獄温泉清風荘で51人が孤立し、自衛隊のヘリコプターで救出された。その近くにある山口旅館では滝の湯が崩れ落ちたというが、大好きな露天風呂だっただけに信じたくもない。 南阿蘇に自宅を新設したばかりの一家が気になり、やっと繋がった電話では一家は道の駅に避難し車中泊したと言うのでとりあえず安心した。テレビ画面には阿蘇大橋の滑落や火の鳥温泉の土砂崩れが繰り返し出てくるので息を飲む。 これは悪夢であって欲しいと思うが、現実に目を背ける訳にはいかない。これから1週間の予定は全てキャンセルする。ただ、今のところ自宅は電気、水(後に断水)、プロパンガスがあるのは有り難い。災害の時にはトイレが深刻な問題だと指摘した大阪のコンサルタントの先生のアドバイスが身に染みる。
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7年ほど前に、行きつけの古本屋で何気なく買った本がナショナル・ジオグラフィックの2005年1月号でした。それは「阪神・淡路大震災から10年 震災の教訓」という特集記事に興味を持ったからです。1995年1月17日午前5時46分に起こったこの地震では、死者数6433人、負傷者4万3729人、家屋の全壊・半壊24万8412棟に及ぶ大惨事となったのです。生々しい被害状況の写真を繰りながらふと目を留めたのが58〜59ページに掲載されている地震予想マップでした。 このマップは政府の地震調査研究推進本部・地震調査委員会が発表している長期評価をまとめた図です。マップ上の数値は、地震の規模(マグニチュード=M)と30年以内の発生確率を示すとあります。このマップ上には阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の表示が見当たりませんので、当時はこの地域では地震の可能性が低いとされていたのではないかと想像できます。さらに注目したのが三陸沖合に広がる地震の震源地です。マップには、宮城県沖M7.5 99%、三陸沖南部海溝寄りM7.7 70〜80%、三陸沖から房総沖の海溝寄りM8.2 20%と今後起こる可能性の高い地域を明示してあります。これを見てまさに2011年3月11日午後2時46分に起こったマグニチュード9.0の東日本大震災を予見していたと思ったのでした。 さらにマップには南関東M6.7〜7.2 70% 東海M8 いつ起きてもおかしくない、とあり危険度が極めて高い予測値となっています。一方九州では布田川・日奈久断層帯(中部)M7.5 〜6%の表示のみです。このマップを初めて見た時は、発生確率や日頃の報道からして、次回大地震が起こるとすればそれは関東方面であろうと思ったのは当然のことです。しかし現実には、確率的には低い九州で大地震が発生したのです。大学時代に統計学を学んだ記憶がかすかに残っていますが、確率というのは高い順に起こるとは限らないということを教えてもらった気がします。
現在は気象庁により、より詳細は地震予測マップが発表されているようですが、私に取ってはいささかアバウトなこのマップの方が概略であるからこそ正確なのではないかと毎日眺めながら考えています。
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地震発生から二週間が過ぎたと言うのに、毎日続く余震にうんざりしつつも内心不安に襲われながら仕事と生活をしています。震度1以上の地震が1000回を越えてなお余震が頻繁に起こっていますので、群発地震と呼びたいぐらいです。今日は地震後初めて被害の大きな益城町を通りましたが、倒壊した住宅やビルが連なっており、町全体が活断層の上にあったからこその被害と思いました。 この町に隣接する我が社の物流センターは幸いにも建物に大きな被害はありませんでしたが、多くの従業員が益城町在住で出勤できない人が多く、いまだ人手不足で苦しんでいます。被災して分かったことは、仕事をしている主婦は小さい子供や年老いた両親がいる場合はその世話があり会社に出勤できないということです。地域の小・中学校は5月連休明けまで休校ですし、幼児を預ける保育園や幼稚園は休園していますから子供はどこに行くこともできません。自然、お母さんが一日中その面倒を見なければなりません。 こうした事態に対応して、車中泊や避難所生活を強いられている家族には会社での宿泊を、子供を預ける所がない人には子連れでの出勤を認めました。多い日には10人の子供達がお母さんと一緒に会社に来ましたので、集会所に子供達を励ましに行きました。するとそこには、70歳ぐらいの女性が子供達といます。聞けば社員のお母さんとのことでしたが、まるで保母さんのようで大変良い雰囲気だと感心しました。
また幼児や子供が余震がある度に怖がるのはかわいそうでなりません。大人はこの余震は次の本震かと身構えて疲れが溜まるのですが、幼児は地震のメカニズムが分かる訳はなく、ただ本能的に怯えたり泣いたりするようです。地震が子供らのトラウマにならないようにその収束を願っているのですが、同僚とは地震を終わらせるために大地に潜む大ナマズを二三匹釣り上げようかと話したりしています。
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