2016年06月09日 古い日記を読む
![]() さて、熊本地震を受けてトキメキ整理法で身辺の片付けをしているのは既にご紹介しました。その過程で30歳台につけていた日記が出てきましたので、廃棄する前に目を通しています。およそ35年前の日記ですから幼い記述が多く、到底人様に見せる日記ではないことを痛感しています。早く焼却しなければと焦りながらも、いささか興味津々で読んでいるところです。人物写真が外見の変化を表すとすれば、日記は内面の変化を見せるものだなと思い知りました。 日記といえば、東日本大震災の発生後、高齢でありながら日本人籍を取った著名な日本文学者ドナルド・キーンさんは、日記文学こそが日本文学の特徴だと言っています。確かに、古くは土佐日記、紫式部日記、明治になってからは永井荷風の断腸亭日乗などを思い出します。亡き父は海軍時代の教育のせいか実にメモ魔で、随分と日記が残されています。しかし、文学的価値があるものは別にして、父の日記を読もうと言う気はなぜか一切しません。しょせん個人的なものであり、普遍的価値がないのが原因でしょう。とすれば私の日記も私以外には価値のない物であり、かつ幼さや傲慢さ、勘違いの数々が記された日記ですから早く処分することが我が名誉を守る有効かつ唯一の手段になりそうです。 こんな事も熊本地震の副産物と言えるのでしょうか。 |
2016年05月30日 布田川断層地帯を歩いて
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2016年05月23日 楠若葉きみ植えませば肥後の野に清らに立ちてをとめら歌ふ
![]() さて、地震を経験して変わったこととしては、物に対する執着心が薄れたことです。大事にしていた物が壊れたり傷ついたりすれば、一種諦めの境地となり、命あっての物種と思うしかありません。また、無一物無尽蔵などと嘯(うそぶ)いたりして、できるだけ物を持たないのが豊かなのではないかと思ったりしています。つまり、物がなければ心配することもないのですから。 そうした日々を送る中で身辺の保管資料をも片付け始めたのは、世界で300万部が売れ大ベストセラーとなった近藤麻理恵さんの「人生がときめく方づけの魔法」を本棚から見つけたからです。ある一節には、「書類は全捨てが基本」と書いてあります。そこで俄然やる気を出して書類の整理を始めたという訳です。 整理している内に、一冊の手帳に書き留めていた美智子妃殿下の和歌を発見しました。美智子皇后ではなく美智子妃殿下であるのは、歌が昭和62年の歌会始のものであり、昭和天皇が在位していらしゃった時のものだからです。熊本を詠った歌に感激した私が思わず書き留めていたに違いありません。そして今地震の被害に涙を流す熊本県民の心を慰めるようなまさに清らかな歌であることに感激しました。楠若葉と言えば、熊本の県木である楠が新芽を出す5月そのものでもあるのです。 楠若葉 きみ植えませば 肥後の野に 清らに立ちて をとめら歌ふ 妃殿下 さらに調べてみますと、昭和60年5月12日には全国植樹祭が熊本で開催され昭和天皇がご来臨されています。きっと当時29歳の美智子妃殿下はその時の情景を詠われたに違いありません。 その全国植樹祭があった時の熊本県知事は細川護煕さんでした。植樹祭のしばらく後に細川知事に会った際、知事から直接に昭和天皇のエピソードを聞いたことがあります。細川知事が全国植樹祭の開催された阿蘇の会場を案内された時、次のような会話があったそうです。 細川知事 「陛下、今日は天気が良くよろしゅうございました。」 昭和天皇 「細川、ヨナが振って皆は苦労しているのではないか?」 ヨナとは火山灰のことで、天皇はヨナが農作物に降り注ぎ農作物をダメにしているのではないかと心配されたのです。細川知事はそうしたことに気づかなかったことを恥ずかしく思うと同時に、天皇はさすがに民の生活のことまで常に考えていらっしゃるのだと感激したそうです。 今回も熊本地震に対して、天皇皇后両陛下が高齢を押して熊本にまで脚を運び被災者を慰労してくれましたのは、天皇家に脈々として伝わる国民を想う気持ちから出たものとすんなり納得できたのです。 |