芭蕉林通信(ブログ)

HOME > 芭蕉林通信(ブログ)

415件〜417件 (全 736件)   <前の3件     ・・・   135 | 136 | 137 | 138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143  ・・・   >次の3件

2016年06月09日 古い日記を読む

 三日坊主という言葉がありますが、私の経験からすれば、英語の勉強、日記をつけるといった行為こそ三日坊主そのものでした。何度も挑戦してはその都度挫折してきたのです。私は幸いタバコは吸ったことはありませんが、喫煙者が禁煙に挑戦した場合は、タバコの依存性が強いだけに禁煙を継続するのは難しく、これまた三日坊主に終わる事が多そうです。  
さて、熊本地震を受けてトキメキ整理法で身辺の片付けをしているのは既にご紹介しました。その過程で30歳台につけていた日記が出てきましたので、廃棄する前に目を通しています。およそ35年前の日記ですから幼い記述が多く、到底人様に見せる日記ではないことを痛感しています。早く焼却しなければと焦りながらも、いささか興味津々で読んでいるところです。人物写真が外見の変化を表すとすれば、日記は内面の変化を見せるものだなと思い知りました。

 日記といえば、東日本大震災の発生後、高齢でありながら日本人籍を取った著名な日本文学者ドナルド・キーンさんは、日記文学こそが日本文学の特徴だと言っています。確かに、古くは土佐日記、紫式部日記、明治になってからは永井荷風の断腸亭日乗などを思い出します。亡き父は海軍時代の教育のせいか実にメモ魔で、随分と日記が残されています。しかし、文学的価値があるものは別にして、父の日記を読もうと言う気はなぜか一切しません。しょせん個人的なものであり、普遍的価値がないのが原因でしょう。とすれば私の日記も私以外には価値のない物であり、かつ幼さや傲慢さ、勘違いの数々が記された日記ですから早く処分することが我が名誉を守る有効かつ唯一の手段になりそうです。  

こんな事も熊本地震の副産物と言えるのでしょうか。


2016年05月30日 布田川断層地帯を歩いて

 熊本地震の被害が大きかった益城町に用事があったので、断層の名前の由来となった布田川を見に行きました。事前に地図で確かめていたのですが、実際に見て布田川が小さな川であることに改めて驚きました。流れる水の少ない小川で、この下に凶暴な活断層があるとは到底思えません。川の手前が住宅地とすれば対岸は一面に田や畑がのんびりと広がっています。つまり、郊外のベッドタウンに隣接した自然の小川といった感じなのです。  歩き始めた当初格別被害が大きい場所とは思えなかったのは、崩れた家があるものの全く平常な家が数多く見られたからです。しかし、なお初めての道を辿ると、次第に揺れが激しかったと思われる地区に脚を踏み入れることになりました。そこにあった小さな公園の地面は多くの地割れができており、隣接した比較的新しいと思われる家は傾いており既に住む人はどこにも見当たりません。土地が沈下したのか、マンホールが地面からせり上がっており、その差は1メートルはありそうです。その通りにあるコンクリート製の電柱はことごとく折れたり、地面から斜めに曲がっており、電線が垂れ下がって危険さへ感じました。被害が余程大きかったのでしょうか、未だ行政の修復の手は入っていないようです。

  今回の地震では多くの方から安否を問う電話やメールをいただきましたが、昔建設省でお世話になった方からは専門の下水道について貴重なな示唆をいただきました。それは下水処理ができなくなればトイレの使用もできなくなるという事実です。私たちは一概に停電や断水ばかりに関心が向かいがちです。しかし話を聞く内に、熊本にある下水道処理施設の内二つがダメになり、残る一つだけで全域をカバーしていたという事実には肝を冷やされました。  人間が普通に生活を営む上で、多種多様なライフラインに依存していることを痛感させられる日々を今なお送っています。


2016年05月23日 楠若葉きみ植えませば肥後の野に清らに立ちてをとめら歌ふ

 今回の地震は余震が多く、すでに震度1以上が1400回を越えました。毎日会社や自宅が揺れる度に、これは又本震ではないかと疑心暗鬼になるのが通例となっています。そうした状況下で思いついたのが、地震と女性には共通点があるということです。それは、「地震と女性はなかなかホンシンが分からない」ということです。もっともこれは男の理屈ですから、女性からしたら「地震と男性はなかなかホンシンが分からない」と言っても差し支えないと思います。それにしても周りの人に披露すると面白い反応がありました。「地震と女性はオコルと怖い」、「地震と女性は急にオコル」。  
さて、地震を経験して変わったこととしては、物に対する執着心が薄れたことです。大事にしていた物が壊れたり傷ついたりすれば、一種諦めの境地となり、命あっての物種と思うしかありません。また、無一物無尽蔵などと嘯(うそぶ)いたりして、できるだけ物を持たないのが豊かなのではないかと思ったりしています。つまり、物がなければ心配することもないのですから。

 そうした日々を送る中で身辺の保管資料をも片付け始めたのは、世界で300万部が売れ大ベストセラーとなった近藤麻理恵さんの「人生がときめく方づけの魔法」を本棚から見つけたからです。ある一節には、「書類は全捨てが基本」と書いてあります。そこで俄然やる気を出して書類の整理を始めたという訳です。  
整理している内に、一冊の手帳に書き留めていた美智子妃殿下の和歌を発見しました。美智子皇后ではなく美智子妃殿下であるのは、歌が昭和62年の歌会始のものであり、昭和天皇が在位していらしゃった時のものだからです。熊本を詠った歌に感激した私が思わず書き留めていたに違いありません。そして今地震の被害に涙を流す熊本県民の心を慰めるようなまさに清らかな歌であることに感激しました。楠若葉と言えば、熊本の県木である楠が新芽を出す5月そのものでもあるのです。

楠若葉 きみ植えませば 肥後の野に 清らに立ちて をとめら歌ふ
妃殿下

 さらに調べてみますと、昭和60年5月12日には全国植樹祭が熊本で開催され昭和天皇がご来臨されています。きっと当時29歳の美智子妃殿下はその時の情景を詠われたに違いありません。  
その全国植樹祭があった時の熊本県知事は細川護煕さんでした。植樹祭のしばらく後に細川知事に会った際、知事から直接に昭和天皇のエピソードを聞いたことがあります。細川知事が全国植樹祭の開催された阿蘇の会場を案内された時、次のような会話があったそうです。
細川知事 「陛下、今日は天気が良くよろしゅうございました。」
昭和天皇 「細川、ヨナが振って皆は苦労しているのではないか?」
ヨナとは火山灰のことで、天皇はヨナが農作物に降り注ぎ農作物をダメにしているのではないかと心配されたのです。細川知事はそうしたことに気づかなかったことを恥ずかしく思うと同時に、天皇はさすがに民の生活のことまで常に考えていらっしゃるのだと感激したそうです。
今回も熊本地震に対して、天皇皇后両陛下が高齢を押して熊本にまで脚を運び被災者を慰労してくれましたのは、天皇家に脈々として伝わる国民を想う気持ちから出たものとすんなり納得できたのです。

415件〜417件 (全 736件)   <前の3件     ・・・   135 | 136 | 137 | 138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143  ・・・   >次の3件