芭蕉林通信(ブログ)

HOME > 芭蕉林通信(ブログ)

295件〜297件 (全 735件)   <前の3件     ・・・   95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | 101 | 102 | 103  ・・・   >次の3件

2018年10月02日 批判は控えめに

 貴乃花が相撲協会を引退(退職)するに至った経緯は、まさに独り相撲を取った感がある。弟子の貴ノ岩を殴ったとされる横綱日馬富士をとうとう引退に追い込んだまでは良かったが、自分の部屋の弟子が付き人を殴り怪我をさせたことにより、暴力への批判の矛先は貴乃花自身に降り掛かったのである。

 天に向かってつばを吐く感のある貴乃花の行動は、退職という道しか選択の余地はなかったのではないか。世間の耳目を集めるだけ集めて、自らの不始末が発覚したとなれば、組織にいづらくなるのは当たり前のことだ。信念に生きるのはさほどに難しいという典型的な例でもある。

 そしてこれは貴乃花の問題だけではなく、身近によく起こることでもある。つまり、他人を批判する際に、自分自身を反省する視点がすっぽり欠けるのである。自分を客観的に捉える冷静さと賢さがあれば、批判する前に口を固く閉ざすことができよう。エドガー・アラン・ポーの詩で大烏(おおがらす)が叫んだように「ネバーモア(もう二度とない)」でありたい。

2018年09月26日 豪潮さんの辞世の句

 江戸時代の僧である豪潮さんは熊本が生んだ名僧である。尾張藩から招かれて晩年をその地で過ごしたが、宝筐印塔(ほうきょういんとう)を全国に千基建立する発願を立て実行した僧である。全国的には白隠さんや仙高ウんが知られているが、地元熊本では豪潮さんの人気は今なお高い。生前から書と画に秀で、白隠さんや仙高ウんの作品のように軽みがない分庶民性はないが、その結果真面目な作品が多く残されている。

 最晩年87歳の時の辞世の句を書いた一巻がある。そこに記された一句は、「父母に呼ばれてかりの客に来て 心のこさずかへる古郷(ふるさと)」というもの。仮の世にいると思えば、毎日いただくものはすべて馳走であり、兄弟喧嘩や夫婦喧嘩などはばかばかしい。父母が待っているあの世に帰るのがありがたいと言った趣旨の説明がついている。

 身近な人を亡くすのは悲しいことであるが、豪潮さんの辞世の句を思うと心から慰められる。死とは将来必ず自分の身に起こることだが、その時は同じ心境に立ちたいと思っている。

2018年09月18日 第410回御能組

 熊本の秋の祭り「藤崎八幡宮例大祭」が秋晴れの下無事に終了した。9月16日は前日の雨も上がり爽やかな祭り日和となり、早朝から随兵行列や獅子舞、馬追いを見る人で沿道は賑わった。

 この祭りでは、地元の人にあまり知られていない奉納能が段山御旅所(だにやまおたびしょ)能楽堂であった。藤崎八幡宮の神様に奉納する能であり、人間はついでにご相伴に預かるのである。加藤清正の時代から始まり、今日まで400年を超える歴史は郷土の誇りでもある。

 「御能組」という呼び方からして、能役者が祭りに参加している感覚がある。その「御能組」の今年の演目は、「翁」「高砂」「田村」「舟船」「半蔀(はしとみ)」「竹生島(ちくぶじま)」と豪華多彩。はしたないがこれらが無料で見られるのである。かくいう私もすべての演目を通して見たのは初めてであり、改めて各演者の磨かれた技にいたく感動した。

295件〜297件 (全 735件)   <前の3件     ・・・   95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 100 | 101 | 102 | 103  ・・・   >次の3件