芭蕉林通信(ブログ)

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2020年08月17日 今年のお盆休み

 例年のごとく今年のお盆は球磨郡水上村の民宿に赴いた。高速道路を経て人吉インターで降りるとそこからは人吉の中心市街地は近い。球磨川の氾濫で大きな被害を被った九日町通りに行くと、災害ゴミはほとんどが撤去されており、報道で惨状を知っているだけにその復旧ぶりに驚かされた。とはいえ、仔細に見ると、行きつけの民芸の店、鰻屋、定宿としていたホテルなどは洪水の傷跡を残したまま閉鎖されている。あの豪雨が襲った僅か一日のことで住民の方々が大きな被害に会われたとは、何という運の悪さかとも思う。

 一方、被災地の上流域に当たる水上村は幸いにして被害は少なかった。ただ洪水時にぎりぎりまで緊急放水を検討した市房ダムには大量の流木が放置されていた。人里離れた民宿ではしばしコロナを忘れることができたが、エアコンのない部屋では思いがけない暑さに死にそうな気がした。

 それでも二泊する間に、地元で取れた山野草の料理、天の川とペルセウス座の流星、著名なロシア語翻訳家の隠遁したかのような住まい、着替えの下着から出たきたクワガタの子供、田の神に捧げた供え物など野趣豊かな時空を経験できたのは幸せだった。例年だとこの時期に開催される村の盆祭りはさすがに中止であったが。

2020年08月13日 ドイツ・ハイデルベルクの洪水対策

 熊本の経済団体の団長としてドイツ視察を敢行したのは15年ぐらい前のこと。観光振興の参考例として、ミュンヘンで開催される「オクトーバー・フェスト(地ビールメーカー10社ほどが巨大テントを設営して、ビールや料理、音楽を楽しむ一大イベント)」を見学することにした。そのついでに、熊本市と姉妹提携関係にあるハイデルベルクを訪問したのである。この街は、文豪ゲーテが愛した古都であり、歴史ある自然豊かな城下町という点では確かに熊本に似ていた。高台にあるハイデルベルク城、哲学者が思索しながら歩いたという「哲学の道」、ノーベル賞受賞者を多数輩出しているハイデルベルク大学(大学ゆかりのノーベル賞受賞者はなんと33人)などが有名である。

 この街で驚いたのは横を流れるネッカー川の洪水対策である。要するに洪水対策をしないという洪水対策なのである。美しいネッカー川は20〜30年に一度ぐらいの頻度で氾濫するという。しかし、護岸を補強したり堤防を作ったりして美しい景観を損なうぐらいならば、あえて洪水により街や店が泥水に侵食されることも辞さないという覚悟なのである。古いものや自然をこよなく愛するドイツ人らしいなと思う一方で、果たして日本の治山治水はどうあるべきか考えさせられた。何しろ、大雑把に言えば、ドイツは石の家、日本は木の家だからである。(古地図はネッカー川とハイデルベルクの町並み)

 本年7月、熊本の人吉・球磨地区は球磨川の氾濫により未曾有の被害を出した。一度は建設中止になった川辺川ダムを作っておくべきだったという新聞記事が気になった。私自身安易に川辺川の清流を守れというつもりはないが、ただダムがすべてを解決するという考え方に違和感を感じるのである。地球温暖化や森林の伐採、大規模なリゾート開発などが川に大きな負担を掛けてきたことを忘れてはならない。ネッカー川の例にならい、日本人はこれから大河とどう向き合うか新たな知恵が求められている。

2020年08月06日 原爆記念日の思い出

 今年も8月6日を迎えた。昭和20年広島に原爆が投下された日である。私が大学を卒業し社会人として一歩を踏み出したのが広島だった。独身寮での生活を謳歌し、その後新婚生活をスタートさせた思い出のある街である。昭和48年4月に銀行の広島支店に赴任した当時はオイルショック直前であり、東洋工業(現マツダ)のロータリーエンジンを搭載していた車が飛ぶように売れていた。繁華街の流川や八丁堀で飲み会をし二次会を終えて帰ろうとすると、空車のタクシーを探すのに苦労するほどの好景気に沸いていた。

 ところがその年の秋に突如襲った第一次オイルショックは、宇品港に売れなくなったロータリーエンジン車(燃費が非常に悪かった)を山積みにし、企業城下町の夜の灯は一斉に暗くなった。そして、原爆記念の日には、平和公園の横を流れる元安川で原爆により家族をなくした多くの人により灯籠流しが行われた。スピーカーでは読経が流され、しめやかな雰囲気が漂った。

 そうした時、広島支店に勤務している女性行員に、何気無く「灯籠流しは広島の夏の風物詩だね。」と言った。その女性からは、夏の風物詩とはなんたる無神経かといったお叱りを受けたのである。原爆で親族を亡くした家族に対しては思いやりのない発言だと言わざるをえず、われながら深く反省した。そして今でもそのことを思い出すたびに、他人の心を思いやることの難しさを感じ、声をかける時は控えめにすべきであると考えるのである。

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