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阿蘇へ行く機会は多い。阿蘇といっても阿蘇くじゅう国立公園と捉えるならばエリアは広大となる。従って、辿るルートは複数あるが、熊本地震の影響で未だ通れない道や橋があるので、渋滞しないルートを選ぶことが肝心となる。それでも幹線道路を選ぶよりは、昔ながらの田舎道を選ぶことが多い。多少は遠回りになり時間がかかっても田舎道の良さがあるからである。梅雨入りした一日、曲りくねった白川沿いの田舎道を阿蘇へ向かった。 途中で見つけたヒマワリ畑では雲間から覗く陽の光に真黄色の花が満開だ。そうだもう初夏なのだ。ヒマワリは種を取るためか油を取るためかと思案する。続く広い畑にはトウモロコシが穂に花を咲かせて背伸びしている。ふと蒸して食べると美味しいスイートコーンを思い出した。村の細い道路にさしかかるとアジサイの群落が迎えてくれた。20〜30の株が一斉に花を咲かせて美しいが、一種類よりも多種が混在した方がアジサイは美しいと思う。農家の横ではすでに田んぼに水が引かれ、田植えの準備のための苗床が青々しい。 最近の梅雨はゲリラ豪雨となり各地に被害をもたらすが、日本の梅雨は本来田植えに不可欠のものだと今さらながら気づく。エジプトのナイル川の両岸には緑が広がっていたが、少し離れるともう砂漠である。アジアモンスーンのおかげで日本は山紫水明の国となった。水を張った田んぼには山影や農家の納屋が映って、額縁に入った一幅の絵を見る思いである。東京は確かに刺激的な都会ではあったが、天地自然に日常的に会えるのは田舎暮らしの特権なのだ。
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元勤めていた銀行の先輩で経営コンサルタントをしている人の講演を聞いたことがある。「遠くの山はきれいに見えた」という印象深い講演であった。要旨は、子供のころから憧れていた美しい山に登ったら、道は険しくごつごつしていて美しい姿とは正反対だったというもの。そしてさらに付け加えて言った。人間関係においても、身近にいると相手のアラばかりが見えて来る。日頃から相手は少し距離をおいて眺める方が良いと。 最近、会社を辞めて他の会社に転職した青年の消息を聞いた。彼は、辞めて初めて元の会社の良さがわかったそうである。確かに会社で働いていると、会社の悪い点ばかりが目につく。方針が悪い、上司が悪い、風通しが悪い、自分の実力を認めてくれないなど問題点はキリがない。そしていつの間にか客観的に見る視点は忘れがちになる。「隣の芝生は緑に見える」、「隣の奥さんがきれいに見える」という状態は、理想化した幻想を見ているに過ぎない。 また、自分可愛さのあまりに自分自身を美化したり自信過剰になっている人に会う事もある。社内でも「絶好調」とか「大丈夫」という言葉を聞いた瞬間、こりゃ危ないなあと内心思う。私自身必要以上のアラ探しや自信過剰には気をつけなければならない。
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最近は少子化時代となったために兄妹の数が少なくなった。中国では一人っ子政策が長く続いたお陰で、「小皇帝」となった子供は両親や祖父母から溺愛される存在となっている。ルソーは、「子供を不幸にする一番確実な方法は子供が欲しがるものを何でも与えてやることだ。」と言っている。確かに贅沢が子供のためになるとは到底思えない。 昔のように兄妹が多い場合は、年功序列の悲喜こもごもはあるにしても自然と組織での行き方を学んだ。喧嘩ばかりではなく一緒に遊んだり助け合ったりした。一種の駆け引きも覚える。貧しいからこそお金のかからない遊び方を自分たちで考える癖もついた。1950年代の日本は物質的には決して豊かな時代ではなかったし、家業に苦心している我が家も同じだった。 たまに持ち込まれる饅頭にしても、4人に一個の割当だった。そこで饅頭を如何に公平に4等分するかが大問題となる。我ら兄妹のルールは、長男の私がナイフを使い正確に饅頭を4等分する。そして妹や弟が取った残りの一個を私が取るというもの。これほど公平なことはないと今でも思っている。もっとも、生卵一個を溶いて4等分することは困難を極めた。この時ばかりは、兄妹4人で最後まで揉めたのである。「奪え合えば足らず、与え合えば余る」などという結構な言葉はその時は知らなかった。ただ知っていたとしても、やっぱり生卵では揉めたに違いない。
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