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少し印鑑を集めている。その中には西安の印鑑屋に刻してもらった蔵書印や敦煌の夜店で買った木印などがある。最近見つけたのが鶏血の小さな小さな印鑑。鶏血とは鮮血が混じったような印材であり、珍しいものと言って良い。そういえば、北京で鶏血と称する印材を購入し日本で馴染みの古美術商に見せたら、まっかな偽物と言われて慌てたことがあった。素人には印材の真贋は難しいと思わされた事件だった。 その鶏血の印鑑であるが、「箸句難 上但自娯」と刻字がある。そこで中国から日本に帰化した同僚に相談すると、宋の詩人・陸游の漢詩のようだと調べてくれた。その漢詩の全文を意訳すると次の通りである。 「初夏」 淡い靄(もや)と霧の出る夏の初め、窓を開ければ新緑の中で鳥たちはさかんに囀(さえず)っている。 外に出て疲れて帰りいつもように家で横になり、食べ物もなく箸を持つことも叶わないが、一人で畑を耕しては娯(たの)しんでいる。 花を飛び回る蝶はさかんに花の蕊(しべ)を落とし、人の姿が消えた酒屋にはただ壺が残るのみである。 福建産の特選のお茶を朝早くから飲むと、肺が潤い、良い気持ちが長く続くのである。 この漢詩の内、刻字に該当するのが漢詩の二節の後半部分「食べ物もなく箸を持つことも叶わないが、一人で畑を耕しては娯しんでいる」である。かくして小さな印鑑から大きな宇宙が広がった。
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熊本地震が発生した時には書斎の棚から多くの本が落下し、大事な物がいくつか壊れてしまった。ちょうど本の収納スペースに限界があると思っていたことでもあり、身近に置いておきたい本を除き大半を会社に移動させた。総量の三分の二ぐらいに当たる本を移動させたのである。 そうしてようやく地震後4年が過ぎ、図書室の整理が一段落した。その段取りは以下の通りである。不要な本を段ボール箱2個に詰めて古本屋に売却(わずか4千円)。その後に本棚に何を置くか決めるために大まかな分類に着手した。郷土本、熊本や九州の関連本、経済・経営・商業、歴史は日本・中国・その他地域に、好きな作家コーナーとしては塩野七生、村上春樹、小林秀雄など、その他詩歌、小説、絵画、写真、書などに分類して本を並べていった。並び終えた後、別の所に保管していた本と入れ替え戦を実施。良き本は図書室に移動させ、そうでない本は納戸へ移動させた。 その結果、まあまあ落ち着いた図書室が完成した。完成して本棚を見渡してみると、読むべくして読んでない本、一度読んでいるがもう一度読みたい本が数多くあることに気づかされた。読書中に関連する本を探すことも容易になった。一例を挙げると、瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」の加藤唐九郎欄を読んでいたら、白洲正子と加藤唐九郎の焼き物対談が紹介されている。その本も図書室にちゃんとあり、さっそく見つけ出して再読すると有名な永仁の壷事件が話題に出てくる。そこで村松友視著の「永仁の壷」を図書室で見つけ出すといった具合だ。コロナのおかげで家にいる時間が多い昨今、読書が読書を呼ぶのもいいかなと思っている。
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コロナウィルスの影響で熊本でも多くの花見が中止がされ、今を盛りと咲き誇る桜も心なしか寂し気である。元気の良いのはメジロなどの野鳥のみで、メジロのつがいは今日も桜の花の蜜を吸うのに忙しい。熊本市でもクラスター発生の懸念から、急遽熊本市長による週末の外出自粛の要請が発表された。ますます市民の行動範囲が狭められた感は強い。 個人的に困るのは、日常化していた体調管理の仕組みが崩壊していることである。フィットネスジムでのストレッチ・筋トレ・有酸素運動、週一回のテニスレッスン、定期的な整体などは感染リスクもあり見合わせ中である。定期的に実施していた血圧や体重測定も自己管理に委ねられた。そこで家にあったはずの血圧計を探し出し測定してみると、高めの数値が出たのにはあせってしまった。改めて運動不足を痛感させられた。 こうした状況下で精神的に落ち込まないようにしなければならないと思い、我が家の満開の桜の下で家族だけの花見をすることにした。密集ではなく、密着でもなく、密閉でもないと判断し、しかも我々夫婦と娘、嫁、孫3人という家族だけの花見である。主役は白い花弁に薄い青が入る「千原桜」であるが、自宅近くの地名が付く珍しくも可憐な桜なのである。風そよぐ桜を眺めながら、午後のひととき憂さ晴らしができたのは何よりであった。締めくくりとして、二人の孫娘と「坊主めくり」もできたことだし。
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