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A先生は間違ったことが嫌いという意味では退職後もその性格は直らない。特に情緒不安定な中学生を相手に指導していたので、規則を破る生徒には厳しく当たった。大人を相手にしても先生時代の性格は出る訳で、他人の失敗が気になって仕方がない。教えてもらうには良いのだが、たまには見逃してよとはならない。私も若い頃親戚のおばさんに「清濁合わせ呑む」とは何かを教えられたが、何となく分るようになったのは自分の会社で海千山千の年配者たちと仕事をしてからである。 B先生は教育評論家としてしばしばコメンテータとして発言している女性である。彼女も学校の先生をしていたのだが、生徒への接し方は独特のものであった。その指導法に名前をつけるとしたら、「問いかけ」とでもなるのだろうか。学校を見回っていた時、男子トイレからモクモクと煙が出ているの発見。B先生はその生徒に、「何々君、タバコ吸うなんてどうしちゃったの? 何かあったの?」と聞く。当然生徒は、「いや一度試してみたいと思って」とか「友達に勧められて」と答える。B先生は生徒に答えさせながら、良くないことをしたと自覚させ反省させるのであろう。 さて、A先生とB先生どちらが良いか判定しようとするのではない。自分自身に置き換えた場合に、他人を指導する難しさを再認識するだけである。私はどちらかと言えば、A先生的なところが多いと自覚しているだけに、単刀直入に問題を指摘するのではなくたまには時間をかけて相手に考えさせる機会を与えてみたいと思う。「雀百まで踊り忘れず」というから、私には無理無理という声がどこからか聞こえて来そうだ。
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日本には鳥取に有名な砂丘があるが残念ながら砂漠というものがない。それだけに、エジプトのナイル川両岸に広がる殺伐とした砂漠やそこに点在するピラミッド群を見た時は感動した。同様に、シルクロードの玄関口に当たる敦煌郊外の砂漠・鳴沙山を足を埋めながら歩いた時にも強い感慨に襲われた。青年時代に読んだ井上靖の小説「敦煌」「楼蘭」の舞台であったせいもあるだろう。 そんな感慨があり又旅の記念にもなると思って、エジプトのサハラ砂漠や敦煌のゴビ砂漠では砂をペットボトルに入れて持ち帰った。日本に帰って見比べると歴然とした違いがあることに驚いた。粒子の大きさ、さらさら度、色艶が明らかに違う。サハラ砂漠の砂は均一で粒子が小さく赤みを帯びているのに対し、ゴビ砂漠の砂は粒子がやや大きく黒と茶が混じっている。大地の形成方法や自然環境が違うのだから、砂の形質が異なるのは当たり前なのかもしれない。世の中では現物を見て初めて気づくということがしばしば起こるが、砂漠の砂もまさにそうだった。 エジプトの階段ピラミッド近くで拾った石、敦煌で集めた石も感じがまったく違う。前者は角がとれ丸みを帯び、後者は風化した痕跡が小さい筋として幾重にも残っている。石を手のひらに乗せて感触を楽しみ、時には虫眼鏡で観察しながら砂漠のロマンに浸る時間を大切にしている。さてこうして書いて来ると、庭で拾った石を手のひらに乗せて一日中眺めて飽きなかったという画家・熊谷守一に、私もいつの間にか似てきたのかも知れない。(写真の右の3個の石はエジプトで、左の3個は敦煌で拾った石)
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南仏のエクサンプロバンスを訪問先に選んだのは、セザンヌの足跡を辿りたかったからである。絵のモチーフとして再三登場するセントビクトール山の近くに位置するセザンヌのアトリエは完全予約制で、我々グループの後からこっそり入ろうとした二人の旅行者は見事に入室を拒絶されていた。 画家のアトリエは普通の家とは全く違う。天井は高く、窓は広く、光線を調節できるようにカーテンが巧妙に配置されており、対象物に光と影がうまくできるように設計されている。これは久留米に残されている坂本繁二郎のアトリエにも共通するもので、画家は光線と光線が作る闇からカタチを得るのである。 セザンヌのアトリエを訪問した人の共通の不満は撮影禁止ということであった。アトリエには天子像や枯れたリンゴ、どくろの他に、セザンヌが写生散歩した時の道具や上着なども残されており、セザンヌファンとしてはたまらないのである。写真を撮れない不満解消に買ったのが、写真にある陶製のリンゴと西洋なしである。「セザンヌのリンゴ」と勝手に解釈して、秋になると机に上に出してはうっとりと眺めている。
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