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つい社内で「美女を侍らして宴会を」とつぶやいたら、人材開発担当部長からすぐに注意が来た。完璧にハラスメント違反だそうである。自分ながら妥当な物言いとは思っていないのでふざけたつもりだったのだが、口に出した以上はアウトなのだろう。昨今のセクハラ事件で明らかにされたのは、性別・年齢・容姿を基準にしてはダメだということだ。 そこでくだんの部長にそのような時にはどのように言えば良いか尋ねた。答えは「女子社員と意見交換会をする」だった。不埒なことを承知で言えば、楽しみにした飲み会が超実務的な会合に衣更えした気分になった。団塊の世代の終わりごろに生まれた身には味気ない世の中になったと嘆くばかりだが、これが時代の流れというものだろう。 その点、自然はそのままで自分に対峙してくれる。おもねることも批判することもない。自然は「自ずから然り」なのだ。ということもあり休日は自宅の庭仕事をすることが多い。この日曜日は石庭の砂の波紋を念入りに引き直した。さらに長さ1cmに満たない雑草を根から数多く掘り起こして抜いた。その時ふと見上げて気づいたのが、石斛(せっこく)の白い花だ。水やりはしていたが、もうだめかと諦めかけていた石斛に可憐な花が咲いていたのには驚き感激した。あるがままにそして自然のサイクルの中に身を置き、これからも心身ともに健康に過ごしていきたい。
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開高健の対談集で世界のジョークを扱ったものがある。それを読みながら、これまで見知っているジョークを自分なりに整理しようと思いついた。そして最近では、挨拶や会議の冒頭はジョークで笑いを取ることから始めるようにしている。 一言にジョークといってもなかにはきわどいものも多くあるので、相手や場所を選んで話さなければならない。その点結構神経を使う。セクハラ、パワハラ、カスハラなど騒がれる時代なので、慎重を期すのは当然のこととも言える。ただジョークは一種の話術でもあるので、場数をこなさいと上手にならないという特徴もある。従って果敢に挑戦する羽目に陥る。 これは実際体験した話である。夏の食べ物といえばソーメン。ソーメンといえば全国的な銘柄の揖保乃糸がある。かれこれ20年ほど前、揖保乃糸の工場見学に行った。熊本空港から伊丹空港に着き、会社からの迎えの車の乗り工場を目指した。車が兵庫県揖保郡にさしかかった頃、ふと道路わきの安全運転のスローガンが目に入った。それは「ゆっくり走ろう 揖保路」とあった。ユックリハシロウ・イボヂと読んだときに、思わず尻がむずがゆくなった。(お口直しに熊本城長塀前の桜をどうぞ)
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企業の話ではなく身近な店の話である。大好きと言うか日頃から愛着のあった店が立て続けに廃業した。産まれた町、新町に明治時代からあった書店「長崎次郎書店」、染み抜きの名人で高校の同級生が営んでいたクリーニング店「シルバー」、朝取りの新鮮なネタが美味しい焼き鳥店「とり安」。突然の廃業によりこれらの店に行けなくなるということは生活のリズムが狂うという体験をした。 一方、中心商店街に何の前触れもなくトルコ絨毯の店がオープンした話は先月した。小売店や外食店の新陳代謝は絶え間なく続いているのである。そう言えば、己が経営でもあまたの新店と閉鎖の経験をしてきている。古いところから言えば、先代から続いていたキャッシュ・アンド・キャリー(業務用店)を2店、スーパーマーケットを1店、自ら創業した外食店を7店、エステサロンを2店、オーガニックの実験店を1店閉鎖した。断腸の思いというよりは早めに見切ったというのが正しい感じがする。苦労はなかなか報われないものである。 生物学者の福岡伸一さんの唱える「動的平衡」という考え方は生命観に基づくものだが、企業や店舗の新陳代謝にもそのまま当てはまると思っている。新規出店や閉店があれば、周りに何らかの影響を与えながら動的平衡により一種の落ち着きをもたらす。昔習ったことのある「残存者利益」(成熟した市場では生き残った企業に売り上げが集中する)の考え方にも通じそうだ。そして新陳代謝による動的平衡の動きは留まることはない。我々は遅れないように付いていくしかない。(写真は挑戦したロックバランシング。一種の静的平衡か)
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